スピルバーグ監督の反戦メッセージのこめられた映画と聞いて結構期待してた。期待しすぎちゃったかな。。その割にあまり話題になっていなかった気がするし。
日中戦争のさなかの上海。イギリス租界で生まれ育った裕福そうな少年は、日本贔屓で零戦に憧れを抱いていた。
中国人の召使いを複数抱え、この時点ではわがまま気ままなおぼっちゃま。
貧しい地場の民衆と、パーティーで浮かれる租界組とがクローズアップされる。
が、のんきな会場からちょっと行った先は戦場だった。。。。
このあたりの導入は結構良かったと思う、少々少年が小生意気に見えるが、イギリスの小説家J・G・バラードの半自伝的な小説が原作になっているとのことで、実際にそういう子もいても不思議じゃないんだなと。
身近で起こっても人ごとでしかなかった殺し合いの世界。
一夜明けたら街は大パニック。それは他人事ではなくなっていた。
まあ理解しろと言う方が無理なのかもしれないが、苦労知らずで育ったボンボンのなんとも世間知らずなことよ。
世界が突然変わることなど考えたこともないだろう。
このあたりの歴史を見てみると。。。
1931年9月18日 満州事変(関東軍による占領)
1932年1月28日~第一次上海事変(上海共同租界で起きた日中衝突)
1937年8月13日~第二次上海事変
1939年9月17日 ソ連によるポーランド侵攻(第二次世界大戦へ)
1941年12月8日 日本がイギリス領マレー及びハワイの真珠湾を攻撃(太平洋戦争:英米等敵対となる)
1945年8月15日 広島・長崎への原子爆弾投下後ポツダム宣言受諾により終戦
という感じで、おそらく第二次上海事変~第二次世界大戦終戦あたりを描いたようだ。
しかし悲壮感は薄い。
それは収容所に入れられても変わらないように見える。
シベリア抑留とかナチスの強制収容所とかばかり見せられるせいかもしれないが、捕虜収容所にしてはなんとも自由でまともな暮らしをさせてもらっている方だと思える。
いや、もしかしたらこれは日本贔屓のスピルバーグの温情が入っていて実際はもっと厳しかったのかもしれないけど。
そして敵国に対する怨みや、誇りを傷つけられたような悔しさも感じられない。
むしろ子供なため雑用や使い走り程度の気楽さで生き生きとしてるようにも見える。
なぜならそう、彼は上海生まれの上海育ちでイギリス本国の土など踏んだことがなかったのだ!
だから他の捕虜になったイギリス人たちとは絶望感が異なるのかもしれない。
「陽気でやんちゃなアメリカ人たち」の仲間入りしたがってるぐらいだ。
そして暇さえあればすぐ隣の敵国であるはずの日本の飛行場をキラキラした目で見ている。
「拠り所となる祖国がない子供」を描きたかったのならまず成功と言えるのかも。。。
そして、戦争終盤、あれだけ憬れていた零戦が特攻隊員を乗せて飛んでいくのに敬礼して美しい歌声で見送るのに、爆撃に来た米軍機に喝采を叫び、次々に日本軍の基地を木っ端微塵にしていくのを見て空のキャデラックだー!と興奮して大はしゃぎ。
。。。。。。あの、そこは襲撃受けてる日本軍が仕切ってる収容所の見張り台なんすけど
え?え? なにこれ。
ただカッコいいものに憧れる無邪気な少年? と、いうより土下座して見せたり、「ナニカノマチガイデス、ワタシタチミナトモダチ」なんていう言葉も全部中身のない見せかけだったのか?
一帯この子は何が望みでなにがしたかったのだろ。何人になりたかったのだろう。
原爆投下の爆発が見えたというのもどうかというのは置いとくとしても、勘違いにせよその時少年は恍惚とした歓喜の表情すら浮かべていたわけで。。。
なんだろう。この後半はものすごく気持ち悪く、何を伝えたかったのかわからない不気味さを含んでいる。
これが反戦メッセージだとしたら
「戦争なんかしたら、子供の精神が破壊されて、善悪や好悪の感情さえも狂いあざとい子供が育っちゃうよ」
という警告なんだろうか(--;)
戦争の集結と同時に突然少年の顔つきが変わるのもイマイチしっくりこない。
そりゃあぁいう特殊な経験を経れば嫌でも一皮むけて大人になるんだろうが、それにも段階って物があるじゃない。
終盤が何やら不自然で理不尽で、感動もしきれず怒りも半端に中和される感じ。
愛情も友情もなんだか半端。
確かに美しい情景や潔さや戦時中なのに礼儀正しい日本人みたいなとこもあって、日本人を悪く書いていないことは確か。
でも子供向けのファンタジーとはまたかけ離れていてどのあたりの年齢層を狙ったのかもあいまい。
原作とどのくらい違いがあるのかがよくわからないけれど、テーマやもっていきかたは悪くなかったのに公判でめためたになっちゃったようなもったいない作品でした。
しかし戦時中の日本人の普段着が、みんな揃いの白い襦袢にねじり鉢巻きって(つω`*)