数ヶ月前の予告編から楽しみにしていたのだが、2~3月と缶詰状態で作業していたので、気がつけばもう公開されていて、あと数日で終わるところだったので慌てて駆けつけた。
「塀の中のジュリアス・シーザー」
脚本や、舞台装置や、カメラも含め、非常にシンプルな印象。
途中で場内で大イビキが聞こえ始めたので、もしかしたら見る人を選ぶかも知れないが、個人的には期待に反せずかなり面白かった。
出てくる場面は刑務所内のみ。独房入り口等は以前見た網走刑務所と雰囲気が似てるなあと思った。
刑務所の囚人たちが、シェークスピアの「ジュリアス・シーザー」を演劇実習として練習を重ねて上演するという内容。
「ブルータス、お前もか」というセリフは耳に覚えのある人も多いだろう。
この映画のおもしろいところは、まず実在の刑務所に服役中の囚人たちが演じているというところ。
それも、終身刑や長期刑等、重罪と思われる人々がメインのキャストとなっている。(ブルータス役はこの刑務所を出所後に本当に俳優になったらしいが)
舞台監督のファビオ・カヴァッリも、実際にレビッビア刑務所での演劇実習の共同責任者であるし、「これはドキュメンタリーなのか?」と、いうと、要素は否定しきれないけど脚本や演出に沿って製作されたものであるらしい。
最初のオーディション場面も、それぞれの感情表現を見て、誰がどの役に相応しいだろう?と一緒に考えてしまった。
そもそも本来まったく別のことをしてた人々なのに、やたら演技がうまい!
最終目的は一般の観客の前での上演だが、この映画はほぼ練習風景で構成されている。
特定の部屋の中、自分の房、建物の陰、、、刑務所内のさまざまな場所がそのままステージに見えてくる。
自分ならこの役をどう演じるだろう?このセリフはどんな気持ちから発せられたのか?
小劇団で舞台に立っていた時期もあるせいだろう。演じる側の気持ちになってしまう。
気づいたらブルータスに感情移入してたようで、シーザーを刺す瞬間に、焼け付くような胸の痛みを感じてしまった。
こういう映画って、役を演じるうちに自分の過去とリンクして、其々の過去が晒されて行くのが定石だと思うが、苦しむ場面は見えるものの、何と闘っているのかはよくわからなかった。
もっと抉り出す表現になっていたら、訴える力が強かったのではないかと思うが、実刑中だし被害者の立場も含めてプライバシーの問題もあったのかもしれない。
完全なフィクションでもなく、生の感情も紛れ込んでいるので、どこまでが演技でどこまでが演技ではないのか見てるものには判別が難しい。
信頼と、裏切りと、栄光と、流血と、正義と信じるものの違いと、、、「ジュリアス・シーザー」という脚本には、恐らく刑に服すことになった彼らが体験してきたであろうことがぎっしり詰まっている。だからこそより役に入り込むことができたのだろう。
また、セリフをそれぞれの出身地の方言で言わせるという試みも新しい(イタリア語なので聞き分けられるわけではないけど雰囲気はw)
非常に興味深い作品で、やはり観て良かったと思います。