ちょっと軽めのものが見たかったので、ジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの豪華キャスト!といううたい文句で内容がほとんど書いてなかったけど雰囲気で見てみたw
現代のロンドンに突如現れる、トラックの舞台。
アルコール依存症のような老人、侏儒、時代錯誤のサーカス団のような衣装の少女と客引きの若者。
ちゃちな鏡のような扉をくぐった先は、おとぎ話のような世界が広がっていた。
ああ、いいね、いいね、こういうの見たかったよ。
入場する人によって内容が違ってくるんだね。それはその人の心象風景なんだね。
ってとこで、謎の黒づくめの帽子とパイプの男Mr.ニックというのが登場。え?悪魔なん?
敵役のようでいてそうともいえない。良きライバル、古い友人、怖いようで優しい。
タロットカードの吊し人の暗示の後、実際に端から縛り首で吊るされているトニーを助けるわけだけど、「吊し人」って見かけは不吉そうなカードなのに実はそう悪いカードじゃないんですよね。ある意味転機のおとずれとも。
これはパルナサス博士本人の現在の状態をあらわしていたような気もします。
全体的には人間の心に潜む「善」と「悪」がいろいろな形で表現されていく。
マフィアに追われるトニーも慈善事業の表の顔と、成功するにつれて裏の顔が見えてくる。
鏡に次々に飛び込んでいく客の深層心理の世界でも、最後には2つの選択肢が示される。
もはや人間としての能力を超えた元は謹厳な僧であったパルナサス博士自身も闇を抱えている。
不死のとんでもなく高齢の父と旅回りをする娘は、一般的な定着した「家」で家族に囲まれて暮らす夢をみている。
そんな彼女をずっと愛し見守り続けてきたアントンは不器用でなかなか彼女の心をつかむことはできない。
こじんまりとしながらも様々な生き方や憧れや夢が混沌とした世界を作る。
そのなかでも地味な役回りながら侏儒のパーシーが結構存在感を見せていた。
時々突き放したような冷めたセリフを吐き捨てるけど、結局一番長い年月パルナサス博士を支え続けていたんだなあとだんだん見えてくるのだ。
で、釣り文句になっていたジョニー・デップ、ジュード・ロウ、コリン・ファレルの共演だが。。。
全員トニーだったのかいっ!
というよりトニー役であったヒース・レジャーがこの映画の撮影途中で急逝してしまったため、想像の世界に入り込んだトニーが別の人格のような感じで違う姿形に見えるというかなり強引な設定でこの3人が登場してるのだ。
なので、「あれ?トニーの顔がさっきと違う?」「ああ、ジョニーの役はこれか、、と思ったら見間違えてたのか?」と妙な混乱が(^^;)一人何役ではなくて4人で1役とか思わないから普通。
だって他の人は鏡に入っても変わったりしないから。。。。
まあそれでトニーには実はとらえどころのない多面性があるんだよという表現になったということなんだろう。
ストーリー的には特にひねりもなくまあ想像を超えない展開となっていくのだけれど、心象風景や僧院での不思議な動き、舞台衣装や、心を入れ替えた人々がブランコでポーンと出てくるところなど、映像的にはわくわくする楽しい映画でした。