2000年 イースター島 – 2日目

南アメリカ海外

本日はいよいよイースター島のハイライトだ!。。と思ったらうっかり寝坊してしまった。ごめんなさい。(主人に起こされるまで気づかなかった)
急いでちょこっとだけ朝食をかきこみ、島内ハイライトツアーへレッツゴー!

交通機関は一般のバスは走っていないし、タクシーもたまにみかける程度だしという状態なので、こうしたツアーに参加するか、レンタカーを借りるかしかない。まあ土地勘ないから最初はガイドツアーを利用した方がいいと思いますが。

まず向かったのは、タハイ村から南東の海岸沿いにある「バイフ地区〜オロイ地区」。
「アフ・ハンガテ」「アフ・アカハンガ」と続くこのあたりのモアイは倒れている。ガイドの人に「あれがモアイです」と言われなければ気付かなかった(汗)。

見事に倒れているモアイはまさに岩石の塊。特に海辺にあるせいで余計にただの岩場に見えてしまった。
しかし、今でも島のモアイの大部分は倒れたままで波に侵食され、あるいは風化していく運命なのである。
アフ(台座)も崩れはて、砕けたモアイと入り交じっていく。首も折れ、顔の判別もつかなくなったモアイはもはやモアイでさえありえない。。。

この海岸線周辺はフリ・モアイ(モアイ倒し戦争)の激戦区であったため、故意にたたき壊されたふしもある。
倒れたモアイの下に人骨が置かれてある場所も見つかっており、墓としても使われていたことを物語っているようだ。


チョークで書いたような目玉が。。(ーー;)いたずら書きしちゃだめですよ〜〜〜〜。

そのまま海沿いを東にひた走り 「トンガリキ(Ahu Tongariki)」へ。
15体のモアイが横一列にずらっと並ぶ、ポリネシア圏最大の遺跡であり、かつてはここにイースター島で最大の人口を誇った村が存在していたという。

とはいえ、ここのモアイはすべて同じ時期に造られたものではない。
島で、もっとも標高の低いところに造られたせいか、1960年代のチリ沖大地震の津波により大被害を受け、破壊されたモアイは内陸部の数百メートルもの範囲にわたってばらばらとなり、アフ自体がかたちを なくしてしまったそうな。

1991年から日本の大手クレーンメーカーの「タダノ」がクレーン車を提供し、技術指導と資金援助まで行い、1995年5月に修復が完了したという。だからイースター島と日本とは結構強いつながりもあるのだ!

1つだけ「プカオ」を頭にのせたモアイがあるが、これは現地のクレーン技術を学んだ人が、ふざけて勝手に乗っけてしまったらしい(いいのか。。)

やはり後に政府の許可を得ていないと問題になったらしいが、のんびりとしたイースター 島ならでは、結局そのままになっているそうな。(^^;)
このように寝転んで大空を見上げるモアイもあるよ。なんだか気持ちよさげだなぁ〜〜〜♪

ひょっこり起きてるのもね。

離れて見ると、背丈も体格もそれぞれでだいぶ違う。とりあえず直立したモアイの大群に大興奮だ。

次に向かうはいよいよモアイの製作場である「ラノ・ララク (Rano Raraku)」だ!

イースター島の写真と言えば、だいたいこの場所を紹介している。自分で撮影してて、「あ、ここ知ってる」という気になったものだ。

なぜか島のほとんどのモアイがここから切り出されて成型され海辺の近くにある部落のアフ(祭壇)まで何十キロの道のりを運ばれたそうな。
もともと岩山だったが、モアイ製造のためにかなり切り崩されてしまっているため、丘のようになってしまっている。

モアイの完成した姿というのはこの後、ブナパウという赤い岩石を産出する他の山から切り出された「プカオ」と呼ばれる帽子のような赤い「マゲ(と言われる)」をのせて、最後に目玉を入れ、できあがる。
(これどこだったかわからなくなったけれど、プカオ製作場付近と思われる)

つまり、ここにある、みなさんがよく目にするモアイは不完全な作成途中のものなのである。

現在でも、ラノララクには390体ものモアイが放置されたままになってる。
雨風にふきっさらしのままなので、日々 風化が進んでいる。もったいないが、いつかは形もなくなってしまうのだろう。
大きさは10メートルを超えるような 大きなものが多く、島最大のなんと! 21.6メートルのモアイ・ピロビロもここにある。

地表にでているのは 6〜8メートルで、残りは土中に埋もれている。とはいえ、かなり山から離れても形がはっきり見えるのは凄い圧巻。
このように、正座をしたかわいらしいモアイ(トゥクトゥリ)もいます。

ラノ・ララク の山の内側はカルデラ湖となっていて、葦がそよぐ静かな湖となっている。
何故かこの内側にもたくさんモアイが埋まっているが、そもそも山の尾根を超えて運び出すのは不可能に思われるのに、なんのために造ったのだろう?
近くの木陰の休憩所でお弁当ランチを食べた後は、ポイケ半島を横目に北上して「テ・ピト・クラ (Te Pito Kura)」へ。
ここから北部海岸線側になる。
アフにまで運ばれたモアイの中で最大のものがここにある。が、写真がわからなくなってしまった(ーー;)
アフのすぐ側には「光のへそ」と呼ばれる石があり、写真のように体を石に密着させ、額を石につけるようにするとパワーが得られるという。

しかし、実際にやっている姿を客観的に見るとかなりマヌケですな。。。(私の姿勢が悪いのか)
直径75センチほどの丸い石なのだが、この周りを小さな石が円を描くように並べられている。もともとどのような意図で作られたものだろうか?こういうのを見てしまうと、「宇宙人飛来説」も信じたくなってしまいますな。
断崖ばかりのイースター島にもあった、美しい砂浜の「アナケナビーチ (Anakena Beach)」
イースター島に来て、初めて海に触れられる場所へやってきました!

この地は伝説の王、ホツマツア王がイースター島にやってきた際、最初に足を踏み入れた場所とされてます。
真っ白でさらさらの砂が気持ちい〜〜〜い♪  果てしなく青い海と真っ白な砂浜、突き抜ける空が美しい。

ここのモアイは砂浜の砂に埋まってしまっていたのが幸いして保存上状態が良好だった。プカオもきちんと載せているものが多いしね。
少し高くなったゆるやかな斜面に「アフ・ナウナウ」の7体のモアイが建っている。
海岸に近い丘の上にはホツマツア王のモアイが静かに佇んでいる。(アフ・コテリク)

1978年に、ここにある「アフ・ナウナウ」の倒れたモアイの下から「モアイの眼」が発見されたそうな。
北海岸側は、島最高峰のテレヴァカ山(507m)がそびえ、海岸線にまだいくつかモアイたちがあるようだが、道がない。
そこでここからおみやげ屋に立ち寄りながら帰着となったのであるが。。。露天みたいなとこで値段が表示されていないものは、お店の方とのやりとりに気をつけましょう。
悪意あってのことではないかもしれないけれど、最初値段聞いた時と、会計する時で違う値段をいい張られることがあります。(高くなってる)トラブルを防ぐには、聞いた時に目の前でメモして確認させておいた方が無難かも。

ちなみに通過は「米ドル」でだいたい通用しますが、島内の通過は「ペソ」のようです。
小さな店ではお釣がペソで返されたりするので、ジュースやアイスなどちょっと したものを買う時に使っちゃいましょう。
空港に両替所がないので、ドルは日本から持って行った方が無難です。銀行は町中に一つ。(8:00〜13:00) レストランやおみやげ屋では、たいていドルとペソの両方で表示してあります。
充実した1日でしたが、残すところは滞在あと1日。夜にはここを飛び立たなければいけないと思うと寂しいなぁ。

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