こうしてブログなど書いてられる時点で、震源に近いながらも被害が少なく、不幸中の幸いといえる状況であることに感謝しつつ。こちら仙台中心部です。
3/11、昼下がりの3時少し前。
そろそろちょっと買い出しに行こうと外出の支度をしていた時でした。我が家は地震予報機というようなものがついているのですが
「ピーピー弱い地震がきます。。ピー」
と警報が鳴ったと思う間もなくゆらゆらゆらと。まあ震度2-3はここ最近でもちょこちょこあったので、またか、、ぐらいに思っていたら数秒後
「ピー強い地震がきます!」
え?
と思う間もなく、ぐわらぐわらぐわら~~~~っと。警報機ついてても、1、2秒前なので心の準備もへったくれもない。
地震が多い地域に住んでいることが多かったので、感覚的にこりゃ震度6くらいはありそうだ。とすぐにピンときました。
大きな揺れがきてまもなく停電。マグニチュード(M)8・8(後日マグニチュード9と確定)国内観測史上最大の地震のはじまりだ。
TVもパソコンも使えないので、残る情報源といえば、、、iPhone からTwitter! こういう時こそ有用とも言える。
繰り返し来る余震だか別の地震だかに揉まれつつ、ちょこちょこつないで情報収集。しかしたまたま充電していなかったせいで、電池残量も危なくなって来たので、途中で断念。
大きな揺れが落ち着いたところで、非常出口のあるベランダへの窓を開放し、玄関も閉じないようにつっかいをして、非常袋を2つ抱えて、玄関近くのものが落ちてこないせまい廊下で待機。
どこまでが余震で、どれが新しい地震なのかさっぱりわからないが、大きな揺れと小さな揺れは繰り返し襲って来て、酔いそう。。。
ようやく一段落したかな?というところで双方の実家に連絡いれておこうとしたが、電話もパンク状態でまったくつながらない(ーー;)
風呂に水が張ってあるのを確認し、ひととおり家の中の被害状況を見て回る。
一番心配だったのは、とにかく大量の本を高く積み上げてある本棚が3つもある本部屋。
!? おや。一冊の本も飛び出していない。揺れは結構あったはずなんだけど。。。
それどころか乱雑に不安定に積み上げてあったパソコンまわりも。。
この状態で崩れなかったのが不思議なほどだ。。。
(パソコンがついてるのは今日電気が復帰してから撮影したからですが、昨晩からこの状態です)
おそらくこの建物の耐震構造がよほどしっかりしていたらしい。妙な揺れ方をしなかったんだろうね。年末にここに引っ越したことに感謝した瞬間である。
しかし開け放した外は雪。暖房もないのでむっちゃ寒い!
外をみると、大きなホテルの前に避難で出て来たらしい人がたむろしている。外の状況も気になるが、エレベーターが停止して、非常階段も普段は閉鎖されているので、出るに出れずとりあえず布団にくるまり暖をとる。
外ではずっと鳴り響くサイレンの音。どこかでけが人や火事などが多発しているのだろう。
日が落ちるともう家の中も真っ暗でどうにもお手上げ。会社から帰宅した相方とともに非常袋の中身をごそごそしてろうそくを取り出す。
懐中電灯と手回し発電ラジオもあった! もしも、、と備えておくのは無駄ではなかった。給水タンクやタオルやカイロやブランケットなどなど。食べ物も多少ある。
そういえば、中身をだんだん充実していったのは、数年前のやはり宮城沖大地震があった後なんだよな。。(ちょうど当時も仙台に住んでいたがその時は冷蔵庫が大きくずれて後壊れた)
相方は比較的近いので帰れたけど、会社にはまだ帰れなくなって暖房も布団も食べ物もない状態で閉じ込められてる社員がいるというので、すっかり冷たくなっていた余りご飯を、真っ暗な中で全部おむすびにして持たした。
、、、て、よく考えたら自分も朝だけで、昼から何も食べてなかったんだけど(笑
一部開いてるコンビニもあるという情報で、ついでに外にでてみたのだが稀少に開いてた店もすでに閉店。
周辺は高層ビルが多いのだけど、ホテルも商業施設も1Fロビーあたりは避難してきた人々がたくさん溢れていた。
あらためて、ああ、これは災害という状況なのだなと再認識。
家に戻ると、全館放送で避難所への希望者誘導がはじまった。強制ではなく自己判断ということだったので、避難先の状況と照らし合わせて自宅待機の方を選んだ。
おそらく情報は避難所の方が入ってくるのだろうし、電気も自家発電で通っているようだったが、体育館みたいなところにパイプ椅子ということなので、体を休めることはできなそうだったので。
真っ暗だけど、とりあえず買い置きしてあったせんべいで腹をごまかして、あとはひたすら布団にくるまって寝る。
て、、普通に寝てしまったよ(ーー;)一応すぐに飛び出せるよう服も来たままだったけど。
日暮れからだから非常に夜が長かった。災害が起こった時、一番情報がはいらないのは現地なんだね。
万一の為に買った手回しラジオでくるくるしながら聞いてるのが唯一の情報源でした。それさえもなかったら、何がどうなっているのかさっぱりわからなかったよ。
オール電化の弱点は電気止まったらお手上げ。まあ、ガスも止まったようだから一緒なんだろうけど、トイレまで電気式なので、必死にろうそくで手動で流せるところ探したが分からなくて困った。
風呂は数日入らなくてもなんとかなるが、トイレは我慢できないからね。水洗で水位が高いから昔の便所よりタチが悪い。
今日の朝9時頃、ようやく部分的らしいが電気が復旧。それでやっとパソコンにつないだりTVを見てどんな状況なのか理解できた。津波の被害がかなりひどかったようですね。同じ仙台でも地盤や建物の構造によっては被害もでている模様。
昔住んでいた付近の有名な神社の鳥居も倒れて(←これにかんしては誤情報と後に判明)周辺の建物には亀裂も入ったそうだ。
電気も点いたことだし、店をあけるとこもでてくるかと、仙台駅付近を一周してきました。
ほんと2-3件ドラッグストアが簡単な菓子等を売ってるとこに何十人もの行列ができていた。自動販売機もほとんどが機能してなくて、動いてるとこも水をはじめとしてペットボトルはほぼ売り切れ。
メインの商店街も一部壁の剥落やショーウィンドウが割れ落ちているとこもあったけれど、ほとんど問題なさそう。
止まった時計は地震が起きて停電した時間を差したまま止まっているようだ。
駅もまだ閉鎖されていて、構内を通り抜けることもできない。長距離バスなども運行停止しており、所在なげに周辺をうろうろしてる人たちが眼についた。
信号もほとんど消えているので、通行にも注意が必要。
結局買い物もできず帰宅。地震がおさまったと言えども今後の生活に不安は残る。数日は運輸系が復活できない限り品物入手は難しいだろう。
昼過ぎ一部コンビニが開いてるという情報も得て、再び繰り出す。
うちの周辺は実はコンビニが近いところに集中してるのだが、開いてたのは1件のみ。
すでに長蛇の列で、入店制限のため店に入れるのも20~30分後。店長らしき人が並んでる人たちにもアナウンスをする。
「すでにパンもおにぎりもカップ麺も、お菓子も食料はほぼありません。飲み物も一部アルコールぐらいで、乾電池も携帯の充電器も売り切れです。それを承知の上で並ぶ人は並んでください」
じゃあ、なにが入手できるのか?と思いつつも一応並んで入ってみた。私が入店した時は
おつまみ系と、チョコや飴、スナック菓子ほんの一握り。水はないが炭酸飲料の一部とカップのスープ系が残っていた。
とりあえずちょっとでも腹の足しになりそうなものと飲み物を確保。まだカップワンタンやレトルトカレー、冷凍食品があったからいいが、後の人はもっと品薄になっただろう。
とりあえず、家があり、布団があり、食べ物があるのでしばらくは籠った状態でなんとかなりそうです。
ご心配いただいた多数のみなさま、ありがとうございました。私は元気です!!