東北地方太平洋沖地震の長い夜

東日本大震災

当時は情報が錯綜していて文中にも怪しい記述があるかもしれません。

通称「東日本大震災」。正式には「東北地方太平洋沖地震」と名付けられたらしい。
2011年3月11日14時46分発生。マグニチュード9.0、最大震度7。
三陸沖を震源として、岩手から茨城あたりまで幅広い震源域に及んだ超巨大地震で、津波と強い余震と福島第一原子力発電所事故も伴い死者・行方不明者だけでも1万8000を超える甚大な被害者をもたらした。
地震当時は仙台駅から徒歩10分くらいの高層賃貸マンションに住んでました。
翌日電気が復旧したと思い込んでましたが、後から付近の状況と照らし合わせてみると、最新マンション故の自家発電か何かで、屋内だけ早めに使えただけっぽい?

こうしてブログなど書いてられる時点で、震源に近いながらも被害が少なく、不幸中の幸いといえる状況であることに感謝しつつ。こちら仙台中心部です。

3/11、昼下がりの3時少し前。

そろそろちょっと買い出しに行こうと外出の支度をしていた時でした。我が家は地震予報機というようなものがついているのですが

「ピーピー弱い地震がきます。。ピー」

と警報が鳴ったと思う間もなくゆらゆらゆらと。まあ震度2-3はここ最近でもちょこちょこあったので、またか、、ぐらいに思っていたら数秒後

「ピー強い地震がきます!」

え?

と思う間もなく、ぐわらぐわらぐわら~~~~っと。警報機ついてても、1、2秒前なので心の準備もへったくれもない。

地震が多い地域に住んでいることが多かったので、感覚的にこりゃ震度6くらいはありそうだ。とすぐにピンときました。

大きな揺れがきてまもなく停電。マグニチュード(M)8・8(後日マグニチュード9と確定)国内観測史上最大の地震のはじまりだ。

TVもパソコンも使えないので、残る情報源といえば、、、iPhone からTwitter! こういう時こそ有用とも言える。

繰り返し来る余震だか別の地震だかに揉まれつつ、ちょこちょこつないで情報収集。しかしたまたま充電していなかったせいで、電池残量も危なくなって来たので、途中で断念。

大きな揺れが落ち着いたところで、非常出口のあるベランダへの窓を開放し、玄関も閉じないようにつっかいをして、非常袋を2つ抱えて、玄関近くのものが落ちてこないせまい廊下で待機。

どこまでが余震で、どれが新しい地震なのかさっぱりわからないが、大きな揺れと小さな揺れは繰り返し襲って来て、酔いそう。。。

ようやく一段落したかな?というところで双方の実家に連絡いれておこうとしたが、電話もパンク状態でまったくつながらない(ーー;)

風呂に水が張って