この週末は私用がぎゅうぎゅうに詰まって慌ただしかったのですが、昨日で震災から1年。
仙台の街並みは、すっかり平穏な風景になっていますが、記憶の中ではまだ生々しく当時の様子が目に浮かぶ。
突然訪れたまともに立って歩けないほどの揺れ。意外と冷静に脱出口や水の確保をしたこと。緊急持ち出し袋がすぐ取り出せる場所にあったこと。電話がずっとパンク状態で、安否確認もとりあえなかったこと。
冷たい雪。消えた信号や街の灯。静寂の夜。
普段の忙しい生活の中ではあまり意識はしていないのだけど、街を歩いてる時に時間の止まってた時計を見上げてみたり、スーパーの脇を通る時に、みぞれの中を何時間も並んでた行列が浮かび上がってきたり、ホテルのロビーで不安そうに夜を過ごす人々の姿が思い出されたり、笑顔で多くの人が歩いてるのを見てふと不思議な感覚に襲われたり、高速道路も数カ月以内はかなりガタガタだったこととか。
あまりにも辛く恐怖の体験をした人たちの中には、その光景を忘れたいと思う人達もいると思う。
激震の主要な地域でありながら、大きな被害を免れた私などは逆に風化させることなく伝えていく立場にあるんじゃないかなあと思ったり。
当時のブログを見ると、情報が初期に錯綜していたためマグニチュードも8.8となってますね。(これでも後日訂正したので最初はもっと低く見られていた)現時点では公式発表でM9.0と記録されています。
とりあえず津波の影響範囲からはずれていたし、家族ともども無事だったけれど、道はあちこち陥没してるし、駐車場から車は長らく出せない状態だったし、公共交通機関も止まってるしで身動きが取れない中、自分にできることは何か?と考えた。
とにかく電気が最も早く復旧したようだったので、Twitterやアメブロで、わかる範囲で生活を維持するのに役立ちそうな情報をひたすた流し続けていた。あとは身近で困ってる人を家に招いてささやかな協力をしたり、少しでも口に入れられるものをわけあったりとか。
普段直近で使うもの以外買いだめしない主義だったので、冷蔵庫がほぼ空だったのにはまいったね。
米もつきかけてたし、順番に開いたコンビニは即効でほぼ空になっていったし、外部から来たらしい闇市のように値段をふっかけた露天なども登場したり。
当初は宅配も届かなかったので、まさに陸の孤島といった不安に襲われました。一時期治安も最悪な状態になっていたしね。
普段どれだけ便利な生活に慣れきっていたか、改めて実感できました。
少しずつ復興も始まり、開いた喫茶店で飲んだミルク