3・11から一年経って改めて振り返ること

東日本大震災

この週末は私用がぎゅうぎゅうに詰まって慌ただしかったのですが、昨日で震災から1年。
仙台の街並みは、すっかり平穏な風景になっていますが、記憶の中ではまだ生々しく当時の様子が目に浮かぶ。

突然訪れたまともに立って歩けないほどの揺れ。意外と冷静に脱出口や水の確保をしたこと。緊急持ち出し袋がすぐ取り出せる場所にあったこと。電話がずっとパンク状態で、安否確認もとりあえなかったこと。
冷たい雪。消えた信号や街の灯。静寂の夜。

普段の忙しい生活の中ではあまり意識はしていないのだけど、街を歩いてる時に時間の止まってた時計を見上げてみたり、スーパーの脇を通る時に、みぞれの中を何時間も並んでた行列が浮かび上がってきたり、ホテルのロビーで不安そうに夜を過ごす人々の姿が思い出されたり、笑顔で多くの人が歩いてるのを見てふと不思議な感覚に襲われたり、高速道路も数カ月以内はかなりガタガタだったこととか。

あまりにも辛く恐怖の体験をした人たちの中には、その光景を忘れたいと思う人達もいると思う。
激震の主要な地域でありながら、大きな被害を免れた私などは逆に風化させることなく伝えていく立場にあるんじゃないかなあと思ったり。

当時のブログを見ると、情報が初期に錯綜していたためマグニチュードも8.8となってますね。(これでも後日訂正したので最初はもっと低く見られていた)現時点では公式発表でM9.0と記録されています。

とりあえず津波の影響範囲からはずれていたし、家族ともども無事だったけれど、道はあちこち陥没してるし、駐車場から車は長らく出せない状態だったし、公共交通機関も止まってるしで身動きが取れない中、自分にできることは何か?と考えた。

とにかく電気が最も早く復旧したようだったので、Twitterやアメブロで、わかる範囲で生活を維持するのに役立ちそうな情報をひたすた流し続けていた。あとは身近で困ってる人を家に招いてささやかな協力をしたり、少しでも口に入れられるものをわけあったりとか。

普段直近で使うもの以外買いだめしない主義だったので、冷蔵庫がほぼ空だったのにはまいったね。
米もつきかけてたし、順番に開いたコンビニは即効でほぼ空になっていったし、外部から来たらしい闇市のように値段をふっかけた露天なども登場したり。

当初は宅配も届かなかったので、まさに陸の孤島といった不安に襲われました。一時期治安も最悪な状態になっていたしね。
普段どれだけ便利な生活に慣れきっていたか、改めて実感できました。

少しずつ復興も始まり、開いた喫茶店で飲んだミルクもないコーヒーの一杯が、どれだけの安らぎであったことか。。。

過去にも阪神大震災や新潟大震災など、ニュースで見て来て大変なことが起こったとは思っていたけれど、実感として受け止められないままにいつしか記憶からは風化していってしまった。
やはり遠い場所の出来事として客観的に眺めるのと経験するのとでは記憶の刻みつけ方にも大きな差がある。

非常時に備えて本当に必要なものも見えてきて、あれからまた緊急持ち出し袋を再点検して装備を整えていってます。もちろん2度と使う必要がないことを祈ってますが。

電話や道路も復活してからは、多くの友人達が様々な手段で安否確認や必要な物資を確認してくれたり、実際に届けてくれたり、直接顔見せにきてくれたり、本当にありがたいことです。
元々関東出身で、まだこちらでは人と人のつながりはほとんどなかったから、みんな遠いところから応援してくれましたね。

しかし、地元の人々が、まだ自分の家の中もぐちゃぐちゃだろうに、がんばって店を開いてあるったけのものを安い価格で提供してくれたり、お店を無料で休憩所にして道行く人に暖をとらせたり暖かい飲み物を配ったり、政府と関係なく個々で炊き出しをしていたり、本当は自分も大変な目にあっているのに、さらに困ってる人を気にかけていたりといった姿を目にしているうちに、気持ちはすっかり東北人のひとりになっていきました。

まあ、その後の東北六魂祭の時には、それらの気遣いを叩き潰すくらいにエゴがあふれていて正直引いたのですが。。。一番苦しい時ほど人は寛大になるものなのですね。ちょっと不思議な感じです。

現在仙台中心部では、特別記すこともないぐらい平穏にもどっていますが、周辺ではまだ交通手段も復旧していない地域もあり、家や仕事で悩んでる人々もいます。
ましてや、後から問題点がどんどん拡大していった原発問題で、この先自分の家に帰れる日がくるのかさえわからない人々もいる。

「震災バブルで逆に今やウハウハじゃん!」「ほんとはもう支援なんて必要ないんじゃね?」 なんて声も時折聞こえてくるのですが、それはほんの一面しかみてないんじゃないかな。

もちろん物資や金銭面でも必要としているところはあるんだけど、それだけではないもっと多くのこともある。
おそらくそれらは当事者になってみないと本当には理解出来ないことで、安易に批難したり軽い言葉を口にしていいものではないと思う。
1年か。。。
しんみりしていても仕方がないのだけれど、3分前のことでさえ忘れる私でも、これはずっと記憶にとどまるだろう。
過去は消せないけれど、生きてる限り未来はある。

なんとなくさまざまな雑事の中で日常は埋もれて行ってしまうのだけれど、とにかく今出来る限りのことを一所懸命やるしかない。
辛いことや悲しいことは望まなくてもやってきてしまうものだから、せめて楽しめることは大いに楽しみながらできるだけ笑顔でいられるように生きていきたい。