最初にアラスカでグリズリーたちと共に生きる上での心得を延々と語る映像。
弱い獲物だと思われてはいけない。
自分よりも強く逞しく襲いかかる隙を見せてはならない。
映像はあまり綺麗ではないが、着ぐるみやCGでは無い、野生のあるべきままの姿で生きるグリズリー達の姿が生き生きと映されている。
心からこの地に生きるグリズリー達を愛し、自然保護活動を続けてきた一人の男ティモシー・トレッドウェル。
それぞれの個体を識別し、幼い頃から見守り、長年観察し続け、コミュニケーションをとろうとし、クマとの間に絆が築けると信じていた。
だから一切の武装はせず、常に丸腰で向き合ってきた。
しかし、ある時事件は起こり、彼と彼女は無残にもそのグリズリーの手によって命を絶たれ食い荒らされていたのだ、、、
本編はティモシー・トレッドウェル自身が撮った映像と、彼と関わりがあった様々な人々の証言インタビューと、自然の映像のドキュメンタリーである。
そう、シナリオやストーリー性のあるドラマではなく、真実の映像なのだ。
そこには、明るく快活で、優しさと愛情に溢れ、センシティブで、他の生き物を傷つけず、それ故に苦しみ馴染めないあまりにもピュアで繊細な若者の姿があった。
しかし、ずっと彼が撮り続けた映像を見てると、ある所から共感を離れて違和感を感じ始める。
野生動物に入れこみすぎて、徐々に人類そのものを敵のように、自分だけが本物の守護者であり、動物達の唯一の理解者であり、仲間であるという思い込み。
自分だけは他の人間たちと違う特別な存在で、それはグリズリー達も分かってるはずだと。
それはある種の奢りで人を盲目にし危険な思想につながる。
守ろうとすること、愛するということ、。
それは違う生き物同士として、そのテリトリーや生活を干渉せずに尊重することでもある。
どれだけ同化したくとも、やはり違う生物であるという境界線を超えることは出来ない。
弱肉強食の野生界では理性よりも生存本能の方が上回るのだ。
確かに中にはある程度お互いの存在を認めて、同じ場所で生きるものとして認知されていたようなところもあるが、それはあくまで満たされた状態でのこと。
そしてうろついてはいても、彼らの縄張りを「荒らす」ほどの存在ではなかったので見逃されていたともいえる。
しかも、人間同士でさえそれぞれに違いがあり、相性もあり、理解し合えないことも往々にしてあるのだから、全てのグリズリーがいつまでも不可侵の仲間でいられるとは限らないのだ。
状況によりどういう変化もあり得るか、もう少し冷静に研究するという道もあったはずだが、どうも盲目に愛しすぎて自分に敵意がなければ相手もわかってくれるという思い込みにとらわれすぎていた感じがある。
自然は美しく優しいだけではない、むしろ日々生き延びるための厳しさや戦いの方が日常かもしれない。
最後のテープの残された、襲われた瞬間の恐怖と、叫びと、何度も繰り返される「逃げろ!」という言葉が生々しい。
直接映像や音声は出てこないけど、キャップがついた状態でカメラが動作したままだったらしく、襲われて生きたまま貪り食われていく様子まで記録されて残っていたということだ。
特にバラバラの破片となった死体を検分し、テープを聞いたらしい検死官の証言がゾッとするほど生々しく、どのような状況であったかを想像させる。
最初は野生の大地でクマとともに生きる男の壮大な自然ドラマかと思ったが、結構えぐかった。
彼自身は自分がもっとも愛する場所で、愛する者の手によって命を失うのは、最終的には恐怖とは別に受け入れられたかもしれないが、たまたま一緒にいて死んだ彼女はどんな気持ちだったろうね。