斑鳩王の慟哭

歴史(日本)

斑鳩王の慟哭 (中公文庫)

あまりに偉大な親を持った子供は、コンプレックスの海で溺れる。

もちろん、それを乗り越えてさらに名を残す場合もあるのだけれど、周囲から常に比較の目で品定めされ続けられれば、萎縮してしまうか逆に肩肘を張ってしまうのも自然なこと。

また、それだけのカリスマ性を身につけた人物というのは、たいがいそれなりの苦難を乗り越えてきている。
苦悩しながら人を見る目を養い、どう惹きつけてどう動かすかを試行錯誤しながら己のものとしてきたのだから。
しかし、最初から権力や富を当たり前のものとして享受してきた場合は、その欠けた部分を補いきれないことも多々あるだろう。

ここにはそんな親子が2組登場する。
飛鳥・奈良時代を代表する、実の権力者蘇我馬子と後に聖徳太子と崇められつつ皇位にはつかなかった厩戸の皇子。
その子らである蘇我蝦夷と蘇我入鹿、山背大兄王の関係は、後に悲劇を生むことになる。

推古女帝については、黒岩氏自身も別の著作でその波乱万丈な生涯について書かれているが、印象的にはかなり違う。
別に人格の破綻というわけではなく、それぞれの立場からみたら見方も変わるというところなのだろう。
今回は女帝は物語の柱でありつつも脇役という風に見える。

そしてこの物語は偶然にもその前に読んでいた古事記ともつながってくる(笑)
古事記は元々天武天皇が稗田阿礼に誦習、、、噛み砕けば反復朗読暗記?、、させてたものを、元明天皇の時に太安万侶が筆録して史書を編纂したということになってますが、この物語ではその基盤となるものを発案したのは厩戸の皇子で、本来蘇我馬子とともに着手するはずだったということになってますね。
これはどこから来たのかな?と調べてみたら、石川 倉二さん著作の「古事記に隠された聖書の暗号」にも記されている模様。本書の柱となるのは聖書との共通点らしいけれどちょっと興味を持った。

聖徳太子は結局天皇位につけなかったことで、より人々の記憶に刻まれた気もする。
その素晴らしい才人の子孫を滅ぼしてしまった蘇我入鹿は極悪人で、天皇を傀儡として奢ったのだから、大化の改新に際してクーデターが起こったのも当然の流れ。。。とするのもやはり勝者側の言い分かなと。

それまで蘇我氏の台頭を許したことも、また政治に対する考え方が変化してきて天皇の実権掌握になったことも、すべては時代の流れの変化のなかにある。
結局はその流れを読んでうまく乗れたものが勝者となり、あがいても流されてしまったものが敗者となる。
そういう意味では蘇我入鹿も厩戸皇子も山背大兄王も同じだと思う。

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