牡蠣小屋、カフェなど併設された複合施設内にあるため、お土産覗いたり、休憩で付近に立ち寄ったことはあるが、ちゃんと中を見ていなかった「みちのく伊達政宗歴史館」。
まー、、、、蝋人形の館ですわw

入場してすぐのところに伊達政宗公がお出迎え。

なのですが、そこからはしばらく東北の有名人が並ぶ。
宮沢賢治、石川啄木、、、、






とりあえず数が多いので、正宗公の生涯をメインに。
ここでは幼少期からの生い立ちを時系列順に場面展示しています。

梵天丸と呼ばれていた幼少時代。
母である最上氏の義姫は、弟ばかりを可愛がり梵天を疎んじたという。
厳しくも慈愛に溢れた虎哉和尚という存在があってこその人生だったと思う。

不動明王の恐ろしい外見に疑問を持ち和尚に尋ねるところ。
恐ろしさの中に慈悲を秘めた姿であることを知り「梵天丸もかくありたい」という名言シーン。
明王様ちょいコミカルですが。。

13歳で田村氏息女、愛姫との結婚。
ままごとのように愛らしく仲睦まじい夫婦であったと。。。愛らしく。。。って顔がっ!!

15歳で初陣。相馬氏が怒涛の進撃をしてきたところを反撃に出る。

畠山義継の陰謀により父を失った政宗は弔い合戦と称して二本松城を包囲。
畠山氏救援に駆けつけた佐竹氏率いる南奥州諸侯連合軍と人取橋(福島県本宮市)で激突した。

多勢に無勢でかなり危ない状況に追い込まれたが、殿軍を務めた鬼庭左月斎の働きによりかろうじて退却。

1585年「人取橋の戦い」である。
その激戦の様が表情豊かに展示されている。


秀吉の小田原攻めの要請があったにも関わらず遅参したため、切腹の覚悟があると示すために白装束という一大パフォーマンスをして見せた結果、なんとかおさまった。
遅参の原因は秀吉に従うか北条に加勢するか家内で揉めたという話と、その時期母による毒殺未遂疑惑があって弟を斬ることになるお家騒動も重なったためという説もある。

伊達な衣装で唖然とさせた文禄の役に従軍する伊達軍。「伊達オトコ」の語源といわれる。

最新の技術により骨格から肉付けして再現したお顔。
瑞鳳殿にも等身大の複製人形がありますが、結構目鼻立のはっきりした日本人離れした顔だったようです。

慶長遣欧使節として支倉常長ローマ法王に謁見(この後悲劇の人となりにけり。。。。)

大阪夏の陣にて豊臣家滅亡。落城を示す炎の赤が不気味に照らす。

伊達家臣団の皆様。やはり兜をつけた戦装束の方がしっくりくるかな。。。




その他にもまだまだ数多くの名場面集がありますよ。






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