レダ

SF国内小説

これも学生時代に読んで結構面白かった印象のある栗本さんの再読。

SFの世界だが、どこか新魔界水滸伝のラクラシラルを彷彿とさせるような設定。
ミラという名前はやはりガタイの良い男のイメージなのかとおかしくもなった。

気弱でコンプレックスに悩むちょうど揺れ動く思春期の少年が、社会のドロップアウト者であるレダという不思議な中年女性と出会って変わっていく物語。

自分が何であるのか、何をしたいのか、どうなりたいのか、それはある年齢層では特に明確には出来ない問題であろう。

だがそれがまた極端に現れて、自信のなさで自分を卑下しがちなイヴはまるで魔界水滸伝の涼だ。
線の細い美少年というのも似ている( ̄▽ ̄;)

反社会的であるということは自由であるとも言える。
ただし自由には代償もつきものだ。
それも全て受け入れてあるがままに居られるというのはなかなか出来ることではない。
人間は社会性の生き物だから、、、

SF小説という形はとっているが、内容は「自由とはなにか」「幸せとは何か」「個人と社会について」「生と死について」など人間の抱える命題をひたすら追求しつづける作品。

おなじみのエネルギーは消滅するのではなく形を変えて存在し続けることや存在という観念なども含まれる。

貧富の差もなく、だれもが望むものを手に入れらられ、快適と安全が保障され、好きな仕事に就くことができ、嫌な人と接触を持つ必要がなく、望めば恋人でも、その場限りの性対象の相手も手に入れられる世界。

すべて管理が行き届いて、飢えに苦しむことも寒さや暑さに苦しめられることもなく、いつも心地よい環境で一人一人が尊重された夢のような世界。。。。
そんな世界があればよいと幻想を抱いたことがある人は少なくないのではないか。

何をしても受け入れられ許される時代。反逆の精神も自由のうちにくるまれて、すべては予定調和の中に。
プライバシーは尊重されるといいつつも、すべては管理され記録され与えられるもの。

まるで養殖されるように、牛舎の牛のように、すべての生活の保障と引き換えに織の中で管理されるのは果たして自由と呼べるものなのだろうか?
表面だけの付き合いで、だれも互いの心に踏み込まず、それによって傷つけることも傷つくこともないのは果たして本当に幸せなのだろうか?

人間らしさって何?

しかしその桃源郷は小さな綻びから破綻しはじめ、あっという間に暖かい布団をめくった陰に隠れていたおそろしいものたちが噴出してくる。

無関心、究極的な自己中心、意味不明な不安と群集心理。感情を伴わないシュプレヒコール。
糸の切れた操り人形。。

青臭くて気恥ずかしくなるところもあるけれど、何も見えていなかった少年時代から、悲しく苦しい試練を乗り越えて、社会の矛盾に直面し、大人にならざるを得なかったひとりの人間の物語。

やはりかなり好きな作品です。てか魔界~以上に好みかも。

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