決定版 2001年宇宙の旅

SF

決定版 2001年宇宙の旅 (ハヤカワ文庫SF)

「2001年宇宙の旅」を映像で見て、その斬新な映像と構成に酔いしれ、抽象的な部分は想像で補い、それはそれで楽しめた。
しかし、その解釈が正しいかどうかは不明だし、特に後半の畳み掛けるような転換も感覚で捉えてみたものの、すっきり納得というところまではいかない。
まあ観るものの完成にある程度委ねたアート的なものなんだろうと思っていたら。。。

単にクラークの原作をキューブリックが映画にしたものではなく、映像と同時進行でお互い相談しながら作り上げていったということを知って、俄然興味が湧いた。
しかも、先に出版かほぼ同時クランクアップのつもりが、実は映画の方が先にできあがっちゃったとか。
そのせいもあってか、本の内容と映画とは完全に一致してないそうな。新版序文にそのあたりの裏話も語られているのがおもしろい。

そのへんも確認しつつ、映画には収まりきれなかったもっと細かいストーリーが見えて来れば、どういうことであったのかより理解が深まりそうだと思ったので読んでみた。

大筋と流れはだいたい合っているが、実際映像化されていない部分も結構あった。
最初の猿人の進化のパートあたりも、もっと緻密な群れと進化の設定があったんだなあと。

ディスカバリー号が飛び立つまでの経緯もわかりやすい。
映像でももっとも説明的なパートではあったが、ここは理解しきれてなかったんだなと。

宇宙船の内部についてもかなり細かく具体的に設計を考えていたのがわかる。
映像では無重力状態でのものの漂う様子や、スチュワーデスのひどく不器用な歩行が強調されていたものであるが。。。
宇宙空間での情景やメカニカル的な描写は、多分当時の特撮では十分に表現しきれてはなかったようです。

そしてハルとの対決。
だいたい内容は同じなのだけど、このあたりは映画の方が豊かに表現されていたように思う。
最初はひたすら恐怖だったけれど、必死にボーマンに語りかけてなんとか思いとどまるよういろいろ話すHALが哀れにも思えてくる。
特に理知的で軽快だったのが、だんだん退行して小さな子供が必死に愛情を求めようとするような様子に涙がでてきた。
これはやはり目で追うだけではなく、聴覚視覚にも訴えた方が伝わった。

やはり機械は無機質な道具であってこそ、便利なんじゃあないでしょうか。
最近はかなり技術も進んで、だいぶ人の言葉に反応したりあたかも感情があるかのように振る舞うロボットなどもできつつある。
が、実際に感情のようなものを持つということになれば、それは=ひとつの人格を作り上げることになる。
しかもそれが、処理能力が人間をはるかに超える頭の良さを持っているというのはかなり怖いしリスクを伴う。

この後映画ではあっという間に次元を超越して白い部屋へ突如舞い込み、空間も次元も越えたような抽象的な表現で一気に終わりへと走っていくわけで、このあたりで混乱して何が起こっていて何を伝えたいのか混乱する人もいると思う。
本を読めばそのあたりの時系列がよくわかります!(笑)

映画と内容が異なるところはちょこちょこあるようだけれど、特に後半は違いがよくわかる。
HALの思考が停止して、ボーマンが孤独に漂いスターゲイトにいたるまでの期間も結構長く記してある。
木星と土星の変更は科学者でもない私にとってはそれほど大きな違和感はないのだが、宇宙の光景の表現が、映像よりも生き生きと美しく描き出されている。
また、スターゲイトをくぐってからも、幻想的で摩訶不思議な光景を描き出している。

この映画の斬新だったところは、説明的なものがほとんどすっぱり省かれていたことだろうね。
ナレーションも、セリフもほとんどない。会話的なものも中盤と宇宙船の中のささやかなものぐらいで、まるでサイレンス映画のような作りになっていいる。合間に流れるのはクラシックと無機質な効果音ばかり。。。
それでいながら独特の映像美というか、感覚で染め上げられていて、完全に理解できなくとも何か心に残るものがあったので、あれはあれで良かったのだと思う。

しかし、C.クラークの本を読むことでさらに理解も深まり、また映画も見直そうという気持ちも強まる。そこには映画には登場しなかったきらめきもたくさんあるのだから。
本と映画の両方を見ることをお勧めしたい。

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