田辺聖子の古事記

日本神話歴史(日本)

田辺聖子の古事記 (集英社文庫―わたしの古典)

梅原氏の古事記を読んでいる途中で、順番に通しで読むよりは該当箇所を並列で読んだほうが何か発見できるのではないかと思い直して、途中から3冊を同時進行で読み始めました。

そして読み始めてすぐ笑い出してしまった。
あれだけ悩んだ「名前の秘密」がいとも鮮やかに提示されているではないか!

これが実際に記述されていることなのか、田辺氏の推量によるものなのかは原典を確認してみるべきなのだろうが、なにせ私は古文と漢文の成績は散々だった人間である。

そして、さらに読みやすい。まさに小説を読んでいるようである。きっとこのへんが哲学者と小説家の違いなのだろう。

古事記を「史書」としてではなく、当時の「古代人の思想」「文学」として捉えているのは同じような考え方ですね。

基本的には同じ話ではあるが、こちらでは直接本筋に関わりないと思われる部分はどんどん省かれているので抜けている項目もある。

元々、なぜそこに挿入されたのかわからないような、流れに沿わない短文が挿入されていたり、ひたすら神々の名前のみが羅列されているような部分もあるので、物語としては省いたほうが読みやすいとも言える。

しかし相変わらず伊耶那美が下る前の最初の黄泉の国の支配者がわからないのは変わりない。

梅原版と意味のとりかたが違うなと思ったのは、まず黄泉の国から戻った伊耶那岐が阿波岐原でみそぎをする場面。

梅原版では、「水面」は流れが早く「水底」は流れが遅いので、「水面と水底の中間」に潜ったと訳されているが
田辺版では、「上流」は流れが早く「下流」は流れが遅いので、「中ほどの瀬」で潜ったとなっている。

ヤマタノオロチの退治場面の用具の名前などはたいした違いではないと思えども、これはあきらかに意味が違ってしまう。
ちなみにこの後に読んだ太田善麿氏も田辺氏と同じ意味合いにとっていた。

さて、ちょっと飛びますが、梅原版からの続きで。。。

国譲りが済んで、いよいよ天孫が地上に下る。ニニギノミコトがコノハナサクヤビメを娶ったのに、姉のイワナガヒメが美人じゃないからと追い払ったのが原因で、以降限られた命「寿命」が定まったということで、ここから神から人間という存在に変化したと伺える。

んが、その子供が580年以上生きていたことになっていたり、またその子供の母親が本性がサメである綿津見の神の娘であったり(鶴の恩返しに似ている話)、まだ人間とは言えないようだ。

天皇家の系譜は一応その次の代の神武天皇からになっているが、やはり母は綿津見の神の娘で人間ではないようだ。

ただし下界に下って慣れ親しんできた高千穂宮を出て、大和に東征(武力制圧)したので、大和王権の初代=天皇家のはじまりという考え方なのだろうか。

そして15代目の景行天皇の皇子として古代のスーパーヒーロー、ヤマトタケルノミコトの登場。

まだ子供といっていい少年が父に疎まれ、遠い国の従わぬ者たちを討伐しながら流浪の果てに故郷を恋慕いながら死ぬ。

そのあたりが悲劇っぽくて同情を誘うのだろうが、個人的にはあまり好感は持てない。
鬼神のごとく戦にも強いのだが、この歳にしてかなりの策謀家のとこもあるのだから。特に先に西へ行った時にその傾向が強く描かれている。

女装して敵の懐に飛び込み、油断をついて襲うというのはまあありとしても、友情を逆手にとって丸腰同然の相手をだまし討ちにするところなんぞは嫌悪感を抱いてしまう。

また、戦禍の中を付き従ってきた妻が、自分の命を生贄に差し出して果てた時も、「吾妻はや。。」などと嘆いていたと思ったら、とっとと違う女のもとへ飛び込んで、挙句の果てに大事な神剣である草薙剣を女のもとへ置いていってしまい、そこから衰弱の一路を辿るとはなんとも。。。

まあ、現代の杓子で考えてはいけないのだろうが、好きになれないものはしょうがない。

次の14代目の仲哀天皇が、このヤマトタケルの子ということになっている。

しかし、古事記では天皇についての表記は非常に少なく、その后となった神功皇后がクローズアップされているのが、やはりどうも異様な感じを受ける。

なぜここで天皇でも直接の神の子でもない皇后がそれほど大きく取り上げられるのか。しかも今まで触れられたこともない海外進出という大きな政治的行動を伴って。

巫女の登場、戦勝の占いなどもここで突然出てくる。戦闘も妙に生々しく人間っぽさを急に醸しだしてくる。

皇子である後の応神天皇につなげるただの作り話ならば、仲哀天皇が活躍したほうが自然ではないのか?父が英雄のヤマトタケルであったとするならなおさらだ。

新羅征伐のやりとりは怪しむ点が多いにしても、人々の記憶に残るような、ごまかしのきかない似たような出来事が何か実際にあったのではないかと思えてしまう。

また、この壮大な話によって、他の皇位継承者の影が薄くなり、たんに「討伐される者たち」のようになっているのも見逃せない。

この仲哀天皇と神功皇后の間に生まれた子が応神天皇ということになっているが、その皇子たちの間(全員母が違う)でまた皇位継承の争いが起こり、結局仁徳天皇が誕生する。

が、ここに流れをぶったぎるように「天之日矛」の話が突然挿入されている。神功皇后の母の系譜を物語る挿話だ。

かなり強引な神話のようだが、要は新羅王子の血を汲んでいるということを言いたかったようだ。神功皇后に新羅の血が受け継がれているとわざわざ告げることに何か意味があるのではないか。

またどんどん長くなってしまうので、思うところは3冊目の太田版につなげたいと思う

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