毛皮を着たヴィーナス(種村 季弘訳)

海外小説

毛皮を着たヴィーナス (河出文庫)

俗にサド・マゾと言われるマゾヒズムの語源、ザッヘル=マゾッホの代表的な作品。

サド公爵の作品の方は今までにいくつか読んではいたが、一口にサドだからサディズムな作品とも言い切れず、マゾヒズム的な要素もふんだんに見られた。
そしてこのマゾッホの作品もやはり、サディズム的な面も多いに見られる。

結局はお互いが背中合わせなわけで、正直この2人の文学は、内容的にはどっちがどっちに分類されても不思議はないというか。。

サド文学の方は研究者も多く、割とポピュラーだったが、正直マゾッホの方はあまり期待していなかった。
言葉は先走りしてるけれども、文学的にあまり知られていないということは、あまりおもしろくないからではないか?と思っていたから。

しかし、これはなかなか深くておもしろい!

サド作品、もしくはこれもサド作品ではないかと言われるような作品は、私は澁澤龍彦訳のものを好んで読んでいる。
退廃的で、官能的で、淫靡で、それでいて文体が決して下劣ではない。
花魁とか高娼のような。。どちらかというと固さもあるので、読み慣れないと入り込みにくいかもしれない。

マゾッホの作品の方が肉感的で、映像的で、妙にねじまがってしまった深い愛情のようなものが強く感じられる。
そう、根底にあるのが、どうしようもなく身も心もすべてを捧げて燃え尽くしてしまわざるを得ないような、切迫した「愛」。
あまりにも深く愛してしまった故に、失うことへの恐怖とうらはらに徹底的に残忍になってしまう歪んだ「愛」。
そして彫像や毛皮といった無機質なものに対する偏愛も暗示的である。

これが一方的な片思いだと、単なる悲劇になってしまうのであるが、お互いにがんじがらめになってしまった奇妙な両思いには息苦しくなるほどの迫力がある。

そして訪れる無惨な破局。。

こんなの愛じゃない。ただのエゴイズムだという人もあるかもしれない。
しかし最後の選択は、望みをかけたラストチャンスでもあった気がします。結局いとも簡単にもとに戻ってしまった失望感が、深い絶望へとつながり、あそこまで疾走してしまう引き金になったのではないか。。

これはきっと訳者である、種村季弘氏の力もあるんだろうなぁ。そう厚さもないので一気に読み進んでしまいました。
そうそう、しかも直接的な性描写が全然ないのに妙な艶かしさもあるのがサドと対照的。

この作品は自伝的な小説とも言われるのですが、マゾッホ自身が作品に引きずられるように自分を追い込んで行ったという話もついてくるのがなんとも。内容というより筆者自身がマゾヒズムの傾向があったのね(汗)。

多分読み進めるうちに、自分がどちらの傾向を隠し持っているのか、気づかなかった深層心理が浮かび上がってきちゃいますよ(笑)

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