日本時間で12/24。楽しかった旅行も最後を迎える日がやってきた。
年間を通して気温は19度から24度位ということだけど、島には高い木がなく年中強風にさらされている状態なので、体感温度は実際よりも低く感じます。
しかし問題なのは、空気が非常に澄んでいるため、紫外線が異常に強い!
私は日焼け止めを 塗ったにも関わらず、ひどい皮膚炎にかかり、旅行の間中、手足がガッチガチのまるでウロコのようになってしまい、痒くて痒くて気もそぞろになりがちで・・・日焼け対策をくれぐれも怠らないように。
よくガイドブックに季節や雨期・乾期について 記述してありますが、現地の人に聞くと、あまり関係ないようです。
天気も年間通して「晴れ、のちくもり、 時々雨」みたいな感じが多くて、一応気象台はあるものの、あまり意味がないらしいですよ。
とりあえず本日は、今までまわった中でもう一度見てみたいもの、まだ見てないものを求めて、レンタカーを借りました。
イースター島で鋪装されているのは村の周辺くらいです。モアイ周辺は未舗装の山道のようなもの。
レンタカーを借りたら地図というより勘で走ろう。(道路Mapないですからw)
まずは「アフ・アキヴィ (Ahu Akivi)」
モアイは海の方を向いて立っていると錯覚しがちなんですが、実は、海の方を向いているのはここ「アフ・アキヴィ」しかないんです。
イースター島のモアイは民を外敵から守るため、すべて内陸を向いているはずなのに、何故ここのモアイだけが内陸に背を向けるように建っているのだろうか?
しかし、海を向いて立っているとはいえ、海からは比較的離れたところに立っているので、みかん畑から海を見下ろしている 気分だ。
裏には、石棺のような遺跡も残されている。アフ・アキヴィの7体のモアイは、ホツマツア王と一緒にやって来た7人の王子達を祀ったものだとも言われてます。
モアイの眺める方向は、春分と秋分の日に太陽が沈む方向でもあり、ホツマツア王がやってきたと言われるマルケサス諸島のヒヴァ島があることから、7人の王子の故郷を思う気持ちを表したものかもしれない。
次に訪れたのが「プナパウ (Puna Pau)」
モアイの頭に載せる「プカオ(髷らしい)」の石切り場である。
モアイを切り出すラノララクの灰色の石とは違って赤い石を産出する。
この色の違いの為にわざわざ別の所から切り出して組み合わせるとはすごい発想である。
なにしろプカオだけでも何トンもありそうなのだから。
ラノララクに負けず大量のプカオを切り出したために山が削られて変型してしまっている。
山が変型するほどの石って・・・・
小高い丘になっているが、途中あちらこちらに切り出されたプカオがゴロンと転がっているのがちょっと寂しい。
そして先日ガイドつきでも訪れた「トンガリキ (Ahu Tongariki)」へ。
なんかこの付近に「石画」があるとかいうことだったんだけども、見つけることができなかった。
続いて「ラノ・ララク (Rano Raraku)」
やっぱりここはもう一度見ておきたかった!
イースター島のレンタカーは気難しい。外国人には4WDしか貸し出さないそうですが、新車ってほとんどないんじゃないかな。企業名がはいったような中古車もそのまま走ってたりして(ーー;)
この付近は特に道がひどくて、しっかり口を締めていないと舌をかんじゃいそうに、思いっきりはね飛ばされます。
。。。なんか遊園地のアトラクション気分でおもしろいぞ!(でも酔うかも)
今日もすごい日差しが容赦なく照り付けてきます。帰ったら速攻で医者に行かねばならないほどの炎症だけど。。。
目に焼き付けておきたい、まさに写真集のようなこの風景。
そして、ガイドブックを見て気になっていた「アナカイ・タンガタ (AnaKai tangata)」へ。
島の言葉で「アナ」は洞窟、「カイ」は食べる、「タンガタ」は人。つまり食人洞窟となるわけだ。(ーー;)
深さはないけれど、天井までは3メートル以上ある。
天井には鳥人や鳥の壁画があるため、鳥人儀礼(*オロンゴ参照)の後に、ここで数人の生け贄が供されて祝宴が 行われていたという言い伝えがあるらしいが、実際に食人行為があったかは定かではない。
入り口には標識も何もないため分かりにくいが、ハンガロア村から南西部の海岸沿いで、小さな「Ana Kai tangata」と書いてある所から 入って、草むらの右手の方にある崖を下る道を進めばたどりつける。
村まで戻り、近くの「タハイ遺跡 (Tahai)」へ向かうことにしました。が、ここでトラブルが!!
車はマニュアルなんだけど、急な坂道に止めて食事してる間に前後をびちっと囲まれて、発車しようとしたら滑り落ちて、前の車にぶつかりそうになった。(普段オートマ慣れしてるからね。。。)
にっちもさっちも行かなくなってる所へタクシーの運ちゃんが通りかかり、仕事中のはずなのに運転代わって脱出してくれました。
周りにいた子供達も一緒になって なんか応援してくれた。ここの住民は気候のせいか、みんな人がいいんだな。
ここにもいくつかのモアイが無造作に立ってます。注目なのが目玉のあるモアイ「アフ・コテリク」。
これはいたずらじゃないですよ。唯一目が復元されているモアイなんです。
つまり、昔は「アフの上に鎮座し」「内陸部を向いて立ち」「頭にはプカオを乗せ」「目玉がある」のが正式なモアイの基準だった模様。
でも見慣れていないせいか目玉があると妙に違和感がでてしまう。。。
ちなみに、イースター島の治安は、現在きわめて良好。
島内の人口が少ないため、なにかあればすぐに身元が判明してしまうということにも関係が あるらしい?!
気軽に「イオラーナ!」(こんにちわ、とかこんばんわなどの挨拶)と、現地語で声をかけてみよう。
子供たちも人懐っこくにこにこしながら駆け寄って きたりするが、別に何かを売り付けるとか、たかってくるというわけでなく、外人が物珍しいので遊んで欲しいだけのようだ。
「マウルル〜♪」(ありがとう)もタヒチと同じような感じなので、こうしたちょっとした挨拶で、目がキラキラして和やかな雰囲気になるものだ。
また、物資の不足するイースター島には、特に簡単な薬セットを持っていった方がいいかもしれない。薬局もあるんだけれど、当然日本と違うし、作用がわかりにくい。
初日にどうしようもなく体調を壊して、痛み止めが欲しくて薬局に駆け込んだが、理解してもらうのにしまいにはボディランゲージで必死に訴えてバラの錠剤を売ってもらいました。(一粒ずつ価格w)
でも、実際その薬剤が何でできていたかはわかりません(ーー;)できれば自分の体にあったわかっているものの方が安心だからね。
そんなこんなでいろいろありましたが、最後の夜はホテルでお別れパーティーを開いてもらって、またタヒチ経由で(時間調整のみ)日本へと帰ってきたのでありました。
いつかまた来たいな。 (完)