神曲 天国篇

叙事詩宗教

神曲 天国篇 (河出文庫 タ 2-3)

実は、神曲の中で最初に読み始めたのがこの「天国篇」であった。
どれから読み始めても理解に大差はないだろうと思っていたのだけど。。。。

3ヶ月くらい、最初から読み始めては飽きてまた読み直し、また飽きては最初から、、と繰り返して結局放り出したという(笑)

順番通りに読むことは結構重要だったのだと、今あらためて思った。

よく見れば天国篇第二歌の冒頭でも、「小さな船に乗ってついてきた人は自分たちの岸を指して帰るように、という警告が発せられる。

地獄編、煉獄篇に比べて天国編ははるかに難解である」とちゃんと書いてあるではないか。

正直この長い意味不明な比喩にまみれた詩たちを延々と読まされることは、結構苦痛であった。

だから地獄編、煉獄篇と読み進めていったあとも、その時の印象がトラウマのようになってしまってなかなか天国編を読み始める意欲がわかなかったのである。

でも、文章の形態に慣れたということや、読み解き方に対する慣れというのもあるようで、順に従って読み進めていくと不思議と印象がかわった。

美辞麗句をつらつらと並べたところだけ見れば、夢のような精神の桃源郷といったところであるが、ウェルギリウスにとって変わった先導者のベアトリーチェが放つ言葉は、やたらと科学、物理など具体的でいきなり現実に引き戻されるようなその落差がまたおもしろい。

太陽系の惑星を天球の序列に見立てたところなども興味深い。

しかし、この天国編だけでも3回は読み直したのだが、信仰の面になると、非常に抽象的で意味するところが掴み難く、なるほど難解だ。

物理学的な三段論法でも「なんでそうなる?」と理解しがたいところもあった。
結局わたしも「小さな船にいる人」なのだなあと感じた。

しかし理解を難解にしているのは、この強引に引き合いに出されたような比喩によって、ごたごたと装飾された文章のせいもあると思う。美的感覚の違いかもしれないが、流れるように滑らかにはめ込まれた的確な比喩とは受け取りがたいものもあった。
その表現が何を指し示そうとしているのか見当がつかないようでは逆効果のような。。
13章後半の複数の例えが最も素直にすっと入ってきたけど。

イタリア、強いてはフィレンツェ史に精通した人であらば、また違った面白さを感じたのかもしれない。

しかし、私にとっては、まったく聞きなれぬ人名や地名がひたすら羅列される箇所などは、苦痛にすら感じた。

全体を通して絶対的な神への信仰崇拝であると同時に、ベアトリーチェへの熱烈な賛美ともなっている。

若かりし日のひとしずくの甘美な思い出というものは、かくまで昇華されるものかと妙なところで感心したりもして。

しかしながら、全編を読み切ってから時間が経っても、やはり印象に残っているのは「地獄編」だ。

描写ももっとも臨場感があって、イメージが視覚的に残っているのだ。
私的にはやはり地獄編が一番おもしろいと思う。

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