歴史や海外古典的な文学というものは、訳者あるいは作家の感じ方によって、ちょっと違った雰囲気を生み出す。
三国志あるいは三国志演義も日本国内だけでも複数の作家の手で描かれて、ゲームや登場人物の解説本や想像画など広がりを見せている。
水滸伝、西遊記と共にもっとも世界的に受け入れられてる代表的な中国文学ではないか。
吉川さんの三国志は、とにかくキャラがわかりやすい。
特に張飛と呂布などは、粗野で単純なとこが際立っていて、まるで兄弟のようだ(苦笑)
曹操も苦労を重ねるごとに思慮深い謀将となった印象があったのだけど、ここでは豪放磊落でどうも危なっかしい。
前半で滅びる呂布も、残虐非道で平気で信義を踏みにじる人物、、ではなく素直過ぎて可愛らしくさえ思え、早々に脱落するのが惜しい。
天下取りに参加するのではなく、時代を超えて梁山泊にでも行けば人気の英雄になってたかもしれない(笑)。
また、どうも読んでると、主要登場人物よりも、それぞれに従う智将の方が活躍している気がする。
例えば曹操なら荀彧、呂布なら陳級、袁紹の阻授というように、彼らの意見が鍵を握っていることが多々ある。
それぞれの地の覇者がお互いを全力で潰しにかかるかと思えば、手を結んで同士として戦うこともある。
この不思議な力関係と、お互いの実力を認め合いながらの駆け引きが非常に面白いのだ。
理念は違っていても、各々義というものを貫いて、どこか相通じるものがあるというわけだろうか。
特に劉備軍が散り散りになった時に、別城に居たために曹操に取り込まれた関羽と曹操の関係は清々しくも男気を愛するの情が滲み出て良い。
諸葛亮孔明登場後の赤壁の戦いも映画になったくらいで、関ヶ原の戦いのような壮大なスケールにわくわくする。その後の馬超対曹操も見逃せない。
呉は最初から戦乱激しかった北と離れていたために、かなり遅れて参戦となるが、周瑜などやはり傑物が小気味よい。
各国には謀略に長けた智将が数多く登場するが、どうも頭の良い人というのはその才をひけらかして傲慢になりがちだ。
そんな中で曹操についた荀彧は最後まで出過ぎた真似をせず、謙虚で、主が間違っているときは諫言さえも厭わないという高潔な人物として描かれている。
頭一つ抜けて君臨していた曹操の凋落が始まったのは、まさに佞臣の言に耳を貸して荀彧を排除してしまった時だろう。荀攸も似たような運命を辿ってさらに運命の輪を早く回してしまった気がする。
中国は広い。人も多い。
だからこそなのだろうが目移りするくらいに各ごとにバラエティ豊かな才能あふれる将がキラ星のごとく立ち現れるのが魅力的だ。
みんなが同じ人物を主と選んで支え、また王室を支えていたら、ねえ、、、
敵対する地にいたばかりに余計戦乱が長引き惜しい人材を失っていったものだ。