火城―幕末廻天の鬼才・佐野常民

歴史(日本)

火城―幕末廻天の鬼才・佐野常民 (文春文庫)

高橋さんと言えば、地盤である東北を中心に比較的ポピュラーではない、歴史の影に隠れた有将を今までにも描き出してきてますね。
幕末と言えば、すぐ浮かんでくるのは薩摩、長州、土佐、水戸、会津などの藩であるが。。。。。今回は「佐賀藩」。
しかも志士たちが活躍するご時世に、武士ではない人々を引っ張りだして来た。

主人公は佐野栄寿(のち常民)。幕末維新後に日本赤十字社の初代社長となった人物である。
そう言うとナイチンゲールのような献身的な医療活動の物語かと思うだろうが、(実際もと医師である)前半生はまったく違った道を歩んでいる。

鎖国政策の中、唯一の海外との窓口であった長崎を抱える九州近辺の諸般は、自国の文化と技術の立ち後れを肌身で感じており、欧米列強に対抗することがいかに無謀かを強く感じていた特殊な地域だ。
当時欧米列強の力を正確に知っていた非常に貴重な存在なのだが、大部分の国民が情勢に対して無知で、遠く離れた幕府や社会情勢に目をつぶっていた朝廷もしかり。
世間では攘夷、攘夷がお題目のように唱えられ、一部の有識者はそれがいかに無謀かを感じてはいたものの、真っ向から反対はできない。
気運だけが否応にも高まる中、本気で異国を力で排除できると信じて行動した志士が哀れでさえある。

ところで佐賀藩は当時「二重鎖国」という特殊な藩政をとり、時勢を知らぬ外部のものどもと接触して惑わされないようにしていた。
佐賀を治めていたのは10代藩主 鍋島閑叟(本名:直正)公である。
先見の明もあり、腹が据わっていて、家臣の言うことを聞く耳も持つ名君主ですね。当時の大名としては珍しいタイプ。
そういえば同じく九州の、薩摩藩の第11代藩主 島津斉彬も近代的な発想をもった人でしたな。

藩の中で才能のある者を送り出しては全面的な支援のもと蘭学を学ばせ、知識を積極的に吸収させていった。
その期待の星のひとりが佐野栄寿だったわけで、確かにある程度の知識は獲得した者の、本領は人脈作りの方に発揮されたようである。
確かに優秀な人材であったわけですが、それを見抜き支援した鍋島閑叟という人があったからこそ存分に実力を生かせたのでしょう。
ついにはなんとも大胆なことに、二重鎖国の自藩に多藩の技術者を強引につれてきてしまう(笑
あまり知られていないけれど、当時もっとも先進的な藩だったのですな。
この時招かれた、からくり儀右衛門と呼ばれた田中久重は、後の東芝の母体を作った人です。「技術の〜〜」と言うのがよくわかる!(笑

諸国が尊王攘夷に倒幕の気風で揺れる中、佐賀は迷うこと無く技術を極める道を突っ走っていく。時代を考えれば考えられない現象ですが、これも二重鎖国政策がいい防波堤になってる気がします。
無論ある意味時代の流れを無視した行動だから反発や困難も多いが、佐賀人の揺れない一本気な性格を形成する土壌はこんなとこにあったかと。
歴史上では華があるわけではない、ひっそりとした活躍ですが日本の技術の発展には非常に重要な布石となったわけです。

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