神曲 地獄篇

叙事詩宗教

神曲 地獄篇 (河出文庫 タ 2-1)

「神曲」はおおまかに分けて「地獄編(Inferno)」「煉獄編(Purgatorio)」「天国篇(Paradiso)」の3部からなるが、それぞれかなりボリューム感があって、読破するにも結構時間がかかる。

本書は各章(歌)ごとに、まず全体像、詩、物語という形式になっており大変読みやすかったのであるが、実際には全編詩のみで構成されているものらしい。
そのまま全部詩だったら、途中でめげてたかもしれないなと思う。

古い海外作品は、小説にしても文章が技工に長けていてやたら意味深な比喩が多かったり、語感や文体の美しさに走りがちで、内容的にはう〜〜んというものもある。

この本は訳者の解説が良かったのか、やはり比喩も多いし幻想的なのにリアルさがあって、具体的でわかりやすい。
フランスのギュスターヴ・ドレによる挿絵も雰囲気を盛り上げていると思う。

特に宗教的な爽快感とかはなくとも、確かに神曲はおもしろい。

でも大絶賛してるのは主にキリスト教圏というのもうなづける。なんだかんだ言っても結局他宗教を真っ向から否定して地獄で厳重に処罰されるべき対象として扱ってるわけだし、イスラム教徒とかからすれば、悪魔の書だよな。。

それにこの話の中で、地獄へ堕ちて特に酷い刑罰を受けているのは、聖職者に多いということも注目すべき点である。

それだけ神職の堕落を憂えていたということか。神に対する冒涜行為と見ていたということか。

とはいえ、この主人公もどう見ても聖人君子ではない(苦笑)
時として、その悶え苦しむ亡者たちを、さげすみ、嘲笑い、復讐心に燃え、怒りをあらわにする。

「悪人だから危害を加えても構わないのだ」といった態度や、誰をどの地獄へ落としてどういう苦しみを与えるか、人を裁く姿は傲慢にさえ見える。

キリスト教の教えってそんなんだったっけ?と思うこともあるでしょうが、「目には目」の同害報復の思想が色濃く反映されている。
まあ元々この同害報復というのも「復讐せよ」という意味ではなく、逆に償いも同程度までと上限を定めたものらしいんですが。

「右の頬を打たれたら。。」という有名な文句も、本来別におおらかな神の愛、、という意味じゃないんですね。この辺はちょいと調べればすぐわかると思います。

無償の愛で、悪人や敵さえも広い心で受け止めるのがキリスト教なんて思ってたら、だいぶ勝手が違ってとまどうでしょう。

しかし地獄の風景は、源信の浄土教を柱とした「往生要集」と非常に似通ったところがある。

仏教とキリスト教ではだいぶ違うと思うのだが、恐れる対象や倫理的な価値観は人間として通じるものがあるのだろう。

また、知っておいた良いと思われることのひとつに、原題との違いがある。
日本では「神曲」の名で知られるこの世界的に有名な書物は、イタリア語では「La Divina Commedia」
が、これも実は後世に手を加えられた題名らしい。実際にダンテがつけたのはただの「Commedia」

語感からピンとくると思うけど、あのコメディアンの語源とも言えるつまり「喜劇」だという。本人はこれを叙事詩だとは言ってない模様。

「神曲」と聞くと、いかにも崇高で神々しいイメージがしますね。
当時にしても「叙事詩」や「悲劇」などの方が文学者の威厳としては格が上だったようだ。

歴史的にも名高い「ギルガメシュ」「イリアス」「オデュッセイア」またインドの「マハーバーラタ」「ラーマーヤナ」なども叙事詩に分類されるらしい。

なんでこんなわざわざ卑下するような題名をつけたのか。謙遜?

いやいや内容を読んだ感じではそんな雰囲気はなかったよなあ。。。確かに叙事詩と公言するには文の形以外にも内容的にも必要な要素があるらしいが、何か別に狙った意味があったんじゃないかと思える。

ところで私の評価というのは、「普通に読んでおもしろかったもの」が3でこれが基準となっている。3というのは評価が低いわけではない。

さらに「何度も繰り返しまた読みたいと思うか」「まざまざと情景が目に浮かび、3DCGで再現してみたいという意欲を掻き立てるか」「心に強く響いて後まで感情が後をひくか」
といったかなり主観的な事情でポイントアップします(笑)

タイトルとURLをコピーしました