深い河

国内小説

深い河 (講談社文庫)

この作品も、様々な人間のそれぞれ違う人生を描きつつ、交差していく様を描いている。

立場や生き様は違うけど、過去に対する後悔、懺悔や悲哀を抱き、この先の生き方を模索しているところが共通している。
遠藤さんは、女性を卑下も神聖化もしないのがいい。

内容的には少々宗教色も感じられる。
ただし、がちがちの凝り固まった「これぞ絶対的でゆるぎのない信仰」というものではなく、揺らぎまくり、疑問を感じ、迷うところが人間らしいと思う。

宗教は学問としてはおもしろい。
形や呼び名が違ったとしても、それは本当に本質的に異なるものなのか?

各人の心の拠り所となり、それによって精神的な安定が得られる存在であればいいのではないか?

何故救いを与えるはずの宗教が、流血や争いを招くのか?

善と悪は立場に寄っても形を変え、絶対普遍的なものであるとも言い切れない。ただし社会生活を営む上で、他人や社会に危害を与えれば罪となる。

等々は以前からの私の考えですが、こういうのもやはり日本人的な気質なのかもしれませんね。
そして宗教は哲学でもあると思う。

通常の海外旅行ならば、「誰も知る人のいない土地で、日頃の溜まったストレスを発散!」「知的好奇心を満たして多いに楽しもう!」といったとこなんだろうが、ここでは鬱屈を抱えたまま人々は旅を続ける。

1組だけ、若い新婚さんがこのなかでは異質な存在として浮き上がってくるが、実際にはもっとも一般的な(やや自己中な)どこてもよく見かけるタイプかもしれない。

ところで、生まれ変わりがあるや否やについては確信がもてないが、生まれ変わりたいか?と言われたらかなり微妙。Noかもしれない。

前世の記憶を保持したまま、まったく見知らぬ土地(異国かも)に生まれ、見覚えのない人々に囲まれて育てられたらかなり混乱をきたすと思うし、「私の居場所はここじゃない。本当の親は別にいる」などと自分の子に言われた家族も相当ショックだろう。実際よその子なわけで。

でも、もし過去に戻って現在の自分のままやり直せるなら。。。と思うことは多々有る矛盾。

過去に戻って違う選択をした時点で一種のパラレルワールドとなり、現在の自分ではありえなくなるのだから、やはり自分であっても自分じゃなくなるような。。。

結局自分として生きるためには、後悔や挫折や鬱屈を抱えて生きるしかないのでしょうね。

結構重いです。

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