伊豆の踊子

国内小説

伊豆の踊子 (角川文庫)

伊豆には昔からいろいろと縁があったのだが、今まで読んだことがなかった。
そういえば、「特急踊り子号」が走り、バス「伊豆の踊子号」も走り、子供の頃から川端康成といえば「雪国」よりも「伊豆の踊子」の方が頭に叩きこまれていた。

伊豆の中央を抜けるように修善寺から湯ヶ島、天城から湯ヶ野、河津へ抜けて下田へ。

期待通りに見慣れた地名や知っている道筋などがどんどん出てきて、懐かしくわくわくした。主人公の目線から、実際の風景がまざまざと浮かんでくるのだ。

今でこそ整備された車道も通っていて、旧道に名残はあるものの天城越えも何の苦労もないが、当時はもっと険しく寂しい山道であったのだろう。

正直文章の中に詳しく情景が描かれているというほどではないが、何度も通ったことのある道筋なので記憶が行間を埋めてくれる。

内容的には淡々と情景ややりとりが描かれていて、客観的にさらりと読み流せるのだが、「女が使ったあとでは汚いと思いますが。。」「物乞い旅芸人村に入るべからず」などという文章からも当時の考え方が伺える。
職業に対する差別や軽蔑なども強くあったのだなあと。

取り囲む環境は優しいものではないけれど、踊り子たちに暗さがなく、無邪気であっけらかんとして明るいのが救いだ。

旅に出た前後の状況は詳しく書かれていないけれども、通常交流することがないような人々と触れ合うことで、この学生自身も救われたのだな。(自分の体験を元にしているという)

と、いうところからか、この作品が爽やかな甘酸っぱい青春ストーリーのように感じる書評も多いのだが、ちょっと私は違う感じを受けた。

流れを見ていると主人公の好意を素直に受け止め喜び、「いい人」として心を開いて受け入れようとしたのは旅芸人の方である。

この旅が終わりを告げても、この暖かな交流は続くものと信じて(信じようとして)家族のように包みこもうとしているさまが窺える。

しかし、それに対して主人公が応じようという言動や気持ちはどこにも見えない。
どころか後半は多少の未練は引きずりつつも、結構あっさりと身を引いて離れようとしている様子さえ見える。

文面には現れていないが、おそらく関係はこの場限りで主人公の方から切り捨てたのではないか。
それに気づいてしまったからこそ、本気で思い入れをしてしまった踊り子の苦悩が最後の部分に現れているのではないか。

僻目の深読みかもしれないが、結局は別世界の人への追憶という印象を持った。

よく問題などで、「冒頭がこの文章からはじまる著書は何でしょう?」などというものがあるが、やはり書物は内容を読んでこそのものだと思う。

出だしを知っていても、作者が誰であるか知っていても心は豊かにはならないし、感じるところもない。あれは何だろねえ。。。

もうちょっと長い話かと思っていたが、実際には短編であり、他に7つの話が収められている。

「青い海黒い海」

個人的には主題の伊豆の踊子よりも、こちらのほうが興味深く感じられた。

やはりあまりまとまりがなく散文的なのだが、ところどころに散りばめられた表現がおもしろい。
幻想的、妄想的な記述がひたすら続くのだが、問答は哲学的で澁澤文学に近いにおいを感じるからかもしれない。

生と死が根底のテーマとして流れているようだが、深く掘り下げて探求するというたぐいのものではなく、どこか客観的に眺めているといった感じ。

「驢馬に乗る妻」

別に私は強烈なフェミニストというわけではないが、これは胸糞悪くなった。

「愛するものを守るため」といえば聞こえはいいが、狂おしいほどの愛情につけこんで人の気持ちを弄ぶのはあまりにも残酷な仕打ち。
そもそも元凶を辿れば自分の行動にあるだろうと。

それを反省するどころかすべての重荷を相手に背負わせ一方的に追い詰めて、自分は平穏に幸せに暮らそうという男のエゴイズムが窺えた。

以下、「禽獣」「慰霊歌」「二十歳」「むすめごころ」「父母」と短編が続き、基本的に「愛情と死」が底辺に流れており、そこにやや異質に屈折した感情が絡んでくる。(「慰霊歌」はちょっと毛色が変わってますが)

ぽっぽっと情景が浮かび上がっては消えて行くような不思議なリズムがあって文学的にはおもしろいと思うが、どこか暗さとエゴが伴い、冷酷なくせに執着心が見え隠れしてちょっといらっとくるところもあった(笑

あまり肌に合わないのかも?とも感じたが「片腕」という作品には興味があり、機会があれば読んでみたいと思う。

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