群馬:富岡製糸場

03 関東国内群馬県

こっちに来てから何度も近くを通り、一度は直接行ったら休館日という縁がなかった富岡製糸場
9月連休の最終日にようやく行ってきました。水曜定休だからどきどきしながら。。

とりあえず開いてました!!祝日は水曜日でもやってて良かった。

富岡製糸場と絹産業遺産群として、関連する施設も含めて世界遺産となっています。
むかぁしむかしのその昔、確か社会の授業で習ったから、名前は知っている。あとは女工がたくさん働いていた、絹糸生産工場だったなあ。ぐらいは。

思っていた以上に規模がでかい(。-`ω´-)。。まずはこの正面にどーんと建つ、東繭倉庫(国宝)から。
裏側はバルコニーがついてます。

あまりにも広大な倉庫ですが、現在はパネル展示や製糸場の歴史ミニシアター、蚕の展示などを行う場所となってます。
子供の頃は普通に周囲にいたお蚕さま。最後蛾になって飛んでいくところまで見届けた思い出が(笑)

柱に残るレトロな看板が当時をしのばせる。

休日のせいかかなりの人ごみでしたが、とりあえず紹介映像を見て勉強。背後では若者がいちいち感嘆の声をあげて映像に反応してました。
ざっとまとめると、明治時代に、フランス公使館通訳たちの紹介により、エシュト・リリアンタール商会横浜支店で働いていた、ポール・ブリュナを引き抜いて、官営模範工場を建立したということらしい。
実際には、場所の選定から建設、機械の工夫や人員確保、軌道に乗せるまでの経緯は大変なものであったようだ。

裏側にはほぼ同じ形の西繭倉庫(国宝)が建っているが、現在修復中の様子。立ち入り禁止であった。
本当は、映像でみて、そのすぐ脇にある蒸気釜所を間近でみたかったのだが、見れなかった(-“-;)

しょうがないのでぐるりとまわって、社宅群へ。懐かしい感じの普通の住宅ですな。

再び東繭倉庫の前を通って、、、そうそうこの建物自体が価値ある遺産です。木造建築なのにレンガ積み。窓や扉は洋風なのに瓦葺という和洋折衷。
レンガも普通にずらして積み上げてるだけじゃなく、縦と横交互に並べて丈夫にしてあるので長い面と短い面が見えるでしょ?

女性教師の宿舎であったという「女工館」を横目で眺めて進む(立ち入りはできない)

小学校のころの木造校舎のようだ。遺産というより懐かしいな~という世代。
でも1Fはもろ校舎なのに、2Fはバルコニーに観音開きの鎧戸と煉瓦なのが洋式。でも屋根は瓦という倉庫と同じような作りですな。。

病気や怪我もあったでしょうから、敷地内に診療所もあります。中は入れません。

そしてメインともいえる繰糸場(国宝)の入り口は、屋根の上に小さな屋根がついた越屋根。上記逃しの換気口の役割を果たしていたそうです。

傍から見ると、こんな感じ

そして一歩入ったところから圧巻な情景が広がる。鏡の部屋の世にどこまでも続く奥行き。

そして屋根を支えるこの梁の形状がキモ。3方向に熊手のように開いたこの形が屋根の重量を分散して支え(「トラス構造」というらしい)、これだけの広大な工場なのに真ん中に柱がないという驚きの建築になってます。
天井もゆうに2F分の吹き抜け状態で瓦屋根ですよ?体育館数個縦に並べたような長さがあるのに、壁際の柱だけで支えきれるもんなんですね。

これだけ機械が並んでいるとすごい迫力があります。ちなみに電球がいっさいなく窓からの自然光のみでの作業だったそうで、暗くなったら仕事はできなかったそうな。

こういう工場の中を走るパイプとかよくわからん装置とか美しいと感じてしまう。だからスチームパンクの世界が好きなんだな。

出口は傍の寄宿舎の方から。そちらは立ち入りできないけれど、廊下の雰囲気がなんか懐かし〜〜〜。

ブリュナさんの住んでいた建物をぐるりと回って(立ち入り不可)。。。

。。。。やはり学校っぽい

そして、敷地の中でも労働者たちと比べてダントツに大きな建物です。

突き当たりの奥にある、最もあたらしい!?女工たちの宿舎を遠目から覗き見る(近くにもいかれないようになっている)。いやぁかなりゆがんでいるし、昭和の安アパートといった風情。
ブリュナ宅や教師たちの建物と比べても、なんとなく、女工たちの扱いが見えるような。。。
このボロっちい女工用の寄宿舎を除いて、国宝の倉庫と繰糸場以外の建物も、ほぼ重文です。

立ち入りできない区画の方が多かったのはちょっと残念ですが、歴史的建築物として後世まで保護するためにはやむをえないことなのでしょう。
社会見学気分で一度訪れておいても良いところかもしれません。

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