広州:越秀公園、烈士陵園

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越秀公園を訪れるのは2回目。地下鉄2号線の「越秀公园」あがってすぐ。
広州の中心部にあるんだけど、丘陵地帯をまるごと抱え込んだ、山あり谷あり池も複数ありと緑が豊富でやたらでかい公園です。出入り口も複数あります。

以前訪れた時はあまりの広さに迷いまくって「五羊塑像」「明代の城跡」「中山(孫文)記念碑」「中山記念堂」という風にわたっていったので、今回は見てなかったところをまわってみようと。

前回休日に訪れた時は有料だったのですが、平日は無料開放されてるようで、守衛さんや窓口はあるのですが「そのまま通ってよし」と。(みぶりで判断)

パンフなどもなかったので、ところどころに立っている園内案内図をたまに見ながら散策。
公園の中にはいろんなテーマを持った区域があって、なんちゃらパークとかいろいろ。

池を回って遊園地をすぎ、まずは広州博物館を散策したのですが、それも長くなりそうなのでこの次に。

とにかく夏の広州は半端なく暑い!夜でも36度とかあるので、日中歩く時は水分補給はかかせません。途中の売店で(カタコト&ボディランゲージ!)ジュースを買って、片手にぶら下げながら歩く。

彫刻の森みたいなとこがあって、銅像や石像などたくさんのでかい彫像がぐるりと円形になってる広場がありました。

写真だとわかりにくいですが、人の身長よりも大きいものがたくさん。
竹林の散策路もあって、なんとなく小道をぶらついてたら大きな広場に出た。そこかしこに彫像銅像がたっていた。

池は干上がっていたけれど、「太公望」とかある銅像の脇を通る飛び石の先に、なにやら洞窟のようなものが見えたので、気になってすすんでみた。

見上げたら井戸のようにぽっかりと大きな穴があいていて、樹木がそよいでました。
そっか、水が満々とたたえられてたら、上から見たらきっと井戸みたく見えるんだろね。ちなみに上は多分さっきの彫刻の森のはじっこ付近なはず。

どこをどう回ってるのか、同じところをさっきも通ったような。。と行ったり来たり迷子になりつつ(^^;)

韓国式庭園もありました。

高床の下には日陰で涼をとっている人々が。なかには警備員の服着た人も座り込んでるんですが(笑)
池の付近に情緒があって、絵の中の世界に迷い込んだようです。
蓮の花がちょっと日本と違う種類のものっぽい。

ミニパークといえども広い!山肌に沿って作られているので、どんどん上っていくと、見上げる位置に清水の舞台のように張り出した建物もあったりして、上りきると園内の坂道の途中にでました。ここどこよ。。。。

なんだかんだと適当にふらついて池も3カ所みたし、ほぼ全域を歩いた模様で足がもうくたくた。
実はこの日、適当に周囲を散策しようと滞在先から気侭に街を歩き回ってたら、たまたま越秀公園にたどりついたのです(笑)地下鉄にして4駅先の駅。(公園前駅で2号線から1号線に乗り換え)

こりゃもう歩けないわなと地下鉄の「越秀公園駅」を探して周囲をぐるりと回ってようやく乗り込む。
滞在先の最寄り駅は地下鉄1号線の「烈士陵园」。

それはわかってたんだけど、そういやどこの出口から出ればいいのか、何という道に向かえばいいのかおさえてなかった!(あふぉね)
適当な出口からあがってみたら、まったく見覚えの無い風景(ーー;)。
言葉もわからぬ異国の地でひとり迷子三昧。。。。なのに焦らないw

ふと脇をみたら「烈士陵园」入り口の門があった。

「そういやここも入ったことなかったな〜〜〜」
と、ついふらりと門をくぐる。実はここも本来有料らしかったのですが、守衛に呼び止められなかったので平日は開放されてるのだろう。

もはや足が痛くて歩き続けるのも苦痛なので、入ってすぐあった蓮池のベンチで休憩。

ここの蓮は日本と同じような種類だったので、なんか上野の不忍池にでもいるような気分になってやすらぐ(笑)

どうやら入ったのは東南にある門からのようで、中央の広い道が大きな池をまたぐような感じになっていました。池の傍らにはくつろぐ市民の姿もちらほら。

血祭軒轅。なにやらおどろおどろしい名前ですね。長い説明書きがあったのですが、中国語で読めない。(ーー;)

とりあえず軒轅さまといえば、中国神話で紀元前に中国を統治した帝として、漢民族の多くが先祖としているようだ。
実存したかは定かではなく、日本神話の神武天皇などと似たような感じかな?

ちなみにここは「黄花崗”七十二烈士墓”烈士陵園」といい、1911年に広州で起こった反清政府の革命「三・二九広州起義」(旧暦3月29日に攻撃したため)で犠牲になった72人の革命軍兵士の眠る墓所。

革命自体はすぐに鎮圧されて失敗に終わっている。半年後に辛亥革命が起こって、清朝は倒れて中華民国になるわけですが。。。

園内中央には大きな土饅頭のお墓が、緑に覆われて静かにありました。
で、入った逆の北側に抜ければ滞在先方面ではなかろうか?と思って奥まで進んだのですが、北にある門は閉鎖されてました(;;)。

結局半円を描くようにまたぐるりと園内を歩き回って南西方面の出口からでてくる。
えー、こちらが正門のようですね。

銃のようなものをつかむ大きな手のような記念碑が、門に通じる広い通りの正面に建っていました。台座には革命の様子が浮き彫りにされてますね。

とりあえず出てからなんとなく広い通りを歩いていったら、ようやく見覚えのある場所に出ました!
それでもタクシーをつかわずに足をひきずるように宿まで帰りましたとさ。(2kmぐらい)

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